坂出の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

香川県坂出市歴史探訪
坂出市の概要
坂出市は、香川県のほぼ中央部に位置し、東は高松市、西は丸亀市と宇多津町、南は国分寺町・綾南町・綾歌町・飯山町、北は瀬戸内海に面しています。市の中心部は海岸沿いに平坦に開け、郊外に向かえば風光明媚な五色台、山城の歴史が残る城山、讃岐富士と称される飯野山があり、綾川を中心に豊かな田園地帯が広がっています。海に出れば瀬戸大橋沿いの島々と瀬戸内海国立公園の美しい景観が広がり、海に山に自然豊かな土地柄となっています。
また、坂出市は高松空港や高松駅、対岸の岡山駅から好アクセスであるということから、「瀬戸内の交流拠点」として注目を集め、発展を続けています。

坂出のあゆみ
今から約3万年程前、城山・国分台の頂上平坦地に人々の生活がはじまり、敲打器から刃物、尖頭器文化へと進歩しながら周辺の山麓や小丘陵へと生活の場が拡大されていきました。特に現在の島々は、当時は瀬戸原野であったと考えられており、当時の人々の活動の跡として、多数の石器が発見されています。縄文時代になると、瀬戸内の原野に海水の侵入がはじまり、人々の生活は海浜や山岳部へと移動しました。当然食糧も変化し、縄目を押しつけた模様の土器が現れました。坂出の代表的な遺跡として、沙弥ナカンダ浜遺跡・与島・府中ポンプ場遺跡などがあります。

弥生時代には、北部九州を中心に米作りの技術や銅や鉄の文化が伝わりました。採集や原始農耕であった人々は、この文化をいち早く導入し、人々は集落ごとに定着しました。このころ、現在の日本人の生活の基礎がつくられたと考えられています。稲作に伴う生産力を背景として、支配者と被支配者の関係が生じ、各地の有力者の連合が国家形成へと向かい、大豪族があらわれはじめます。これらの有力者は、集落を見下ろす山頂部に巨大な墳墓を築き、墓の内部には銅鏡や玉類・鉄剣などを副葬し、自らの権威を誇示しました。坂出では石を積み上げて墓とした「積石塚」が多く確認されています。

古代讃岐の国府は、現在の坂出市府中町に置かれ、開法寺塔跡の発掘や、国府域の調査などにより古瓦が多数出土し、当時の盛況ぶりがうかがえます。また菅原道真・崇徳上皇といった歴史上著名な人物も国府と深い関連があります。平安時代には、密教等の流布により白峯寺などの山岳寺院が建立されました。

坂出地方では、古くから塩づくりが盛んでした。香川県沿岸各地の遺跡からは弥生・古墳時代の製塩土器が出土するなど、塩づくりの跡をたくさん見ることができます。奈良時代から江戸時代へと時代が移り変わっていく中で、製塩方法がかなり進歩し、やがて一人の塩づくりの天才(久米栄左衛門)が現れました。久米栄左衛門は、文政7年(1824年)に塩田と田畑の開墾を計画し、3年半の歳月と多くの人手により、現在の坂出市街北部に広大な「入り浜式塩田」を完成させました。この塩田は技術的に優れていたため、「久米式塩田」と呼ばれ、その後の塩田開発のモデルとなりました。当時の藩主松平頼恕は、その栄左衛門の業績をたたえて、当時の塩田の中央に位置した天満社境内(現・坂出商工会館裏)に石碑を建て、讃岐の塩づくりの歴史を永く後世に伝えました。

昭和17年(1942年)に、坂出町と林田村が合併し、坂出市となりました。その後も合併編入を重ね、昭和31年(1956年)に松山村・王越村を合併編入し、現在の市域となりました。

昭和63年(1985年)には瀬戸大橋が開通しましたが、平成4年(1992年)には四国横断自動車道と瀬戸大橋が連結し、坂出は本州と四国を結ぶ高速道路網の四国側の玄関となる重要な拠点となりました。現在、坂出市は、米子・高知間の南北地域連携軸のちょうど真ん中に位置する地理的特性を十分に活かし、「瀬戸内の交流拠点 活力とふれあいの坂出」を目指したまちづくりを進めています。


坂出の名前の由来
宮崎栄立民賊物語や古文書に、宇足津(宇多津)の人が、「坂(田尾坂)を出るといつの間にか所々に家が建ち、寄洲を埋め立てて村が出来ている。」と驚き、伝えたことから坂出といわれるようになった書かれています。


坂出の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
坂出市郷土資料館
住所: 〒762-0043
香川県坂出市寿町1丁目3-5 [地図を見る]
電話番号: 0877-45-8555
開館時間: 9:00〜16:00
休館日: 月曜日、毎月末日、祝祭日、 年末年始(12月28日〜1月5日)
入館料: 無料







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